ドイツの歴史は、古代ゲルマン人の部族社会から、中世の大きな王国へと舞台を移していきます。森に囲まれて暮らしていた人々が、やがてヨーロッパ全体を左右する巨大な国家を築く――その転換点が「フランク王国」と「カール大帝」の時代です。

この記事では、5世紀末から9世紀までのお話を、できるだけわかりやすく紹介します
フランク王国の誕生
フランク族の台頭
5世紀後半、西ローマ帝国が滅びると、ヨーロッパはさまざまな部族国家が割拠する混乱の時代に入りました。その中で頭角を現したのが、ゲルマン人の一部族である「フランク族」です。彼らは現在のフランス北部からベルギー、ドイツ西部にかけて勢力を広げていきました。
『部族の王』から『キリスト教世界の王』へ
フランク族の王として有名なのが クローヴィス です。彼は5世紀末に自らの支配を固め、キリスト教に改宗しました。これによってフランク王国はローマ教会から強い支持を得て、ヨーロッパ世界にしっかりと根を下ろすことができました。
この「部族の王」から「キリスト教世界の王」へという変化は大きな意味を持ちます。ゲルマン人の中でいち早く主流の宗教を受け入れたことで、フランク王国は他の部族国家よりも一歩抜きん出る存在となり、その後のヨーロッパの中心的な役割を担う基盤ができあがりました。言い換えれば、この時点で「ドイツ」という国の物語が、ゆるやかに始まったのです。
カール大帝 ― ヨーロッパの父
カール大帝の登場
フランク王国をさらに大きく飛躍させたのが、8世紀に登場する カール大帝(シャルルマーニュ) です。彼は父、ピピン3世(※豆知識参照)から受け継いだ王国を巧みに拡張し、西ヨーロッパの広大な地域を支配下に収めました。
カール大帝のすごさは、単に領土を広げただけではありません。彼は法律や行政を整備し、地方を任せる役人を派遣することで、広い国を効率的に治めようとしました。また、学問や教育の復興にも力を入れ、修道院を中心にラテン語文献の写本が進められました。これを「カロリング・ルネサンス」と呼びます。
皇帝の誕生
そして何より象徴的なのは、800年のクリスマスの日。ローマ教皇レオ3世から皇帝の冠を授けられた出来事です。この戴冠は「西ローマ帝国の伝統を引き継ぐ新しい皇帝」の誕生を意味し、ヨーロッパ全体に強烈なインパクトを与えました。

画像:ジャン・フーケ「カールの戴冠」 (1455年-1460年)Jean Fouquet, Tours – http://expositions.bnf.fr/fouquet/grand/f008.htm, パブリック・ドメイン, リンクによる
カール大帝は後世「ヨーロッパの父」と呼ばれるようになります。彼が築いた政治的・文化的な枠組みは、その後のヨーロッパ史の礎となり、ドイツ史にとっても避けては通れない大事件でした。
帝国の分裂とドイツの始まり
カール大帝の死とヴェルダン条約
しかし、どんなに偉大な王であっても、その後の歴史を永遠に支配することはできません。814年にカール大帝が亡くなると、彼の残した広大な帝国は徐々に分裂の道を歩みます。
決定的だったのは 843年のヴェルダン条約 です。これはカール大帝の孫たちが帝国を三つに分割したもので、以下の三国が誕生しました。特に「東フランク王国」が、のちに「神聖ローマ帝国」となり、ドイツの中心的な歴史を形づくっていきます。
🟩 緑:西フランク王国(Charles the Bald/禿頭王シャルルの領土)
→ のちのフランスにつながる地域。
🟨 黄:中部フランク王国(Lothair I/ロタール1世の領土)
→ 短命に終わり、その後分割・吸収される。
(現在のイタリア北部〜ベルギー、オランダ、スイスなどを含む)
🟧 橙:東フランク王国(Louis the German/ドイツ人ルートヴィヒの領土)
→ のちのドイツへと発展する地域。

画像:ヴェルダン条約およびメルセン条約によるフランク王国の分割。橙色の部分が東フランク王国。Adapted from Muir’s Historical Atlas (1911)File from Fordham University Internet Medieval Sourcebook, パブリック・ドメイン, リンクによる
つまり、ヴェルダン条約は「ドイツ史がここから始まった」と言える分岐点でした。森に暮らしていたゲルマン人が、フランク王国を経て、ついに「ドイツ」という国への第一歩を踏み出したのです。(注:その後も小さな領土の調整は続き、870年のメルセン条約で再び分割が行われましたが、東・西・中部という基本構図はこのヴェルダン条約で固まりました。)
おわりに ― 国の始まりを告げる時代
フランク王国の成立からカール大帝の栄光、そして帝国の分裂。この一連の流れは、ドイツだけでなくヨーロッパ全体の歴史において非常に大きな意味を持っています。
- フランク族がキリスト教を受け入れたことは、ゲルマン世界を「ヨーロッパの一部」に組み込んだ。
- カール大帝の統合と皇帝戴冠は、ヨーロッパという地域の共通意識を芽生えさせた。
- ヴェルダン条約による分裂は、ドイツという国の出発点をつくった。
こうして見ると、中世序盤は「ドイツの始まり」を告げるドラマの舞台だったことがわかります。

次回は、この東フランク王国からさらに発展していく 神聖ローマ帝国 の時代を取り上げます。いよいよ「ドイツ」という国が歴史の表舞台に立ち、長い中世の時代が幕を開けることになります。
【ドイツの歴史1】古代のドイツ:ゲルマン人たちの世界とローマ帝国との邂逅
👑【シリーズ:ドイツの歴史2】
— まいん・どいちゅらんど (@mein_blog_de) October 3, 2025
古代ゲルマン人の部族社会から、中世の大国フランク王国へ。森の民がやがてヨーロッパを動かす存在となる転換点、カール大帝の時代を解説✨
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