【ドイツの偉人・有名人】第5回 ”恋する文豪”ゲーテ|フランクフルトが生んだ世界文学の巨匠

バウハウス風グラフィックスタイルで描かれたヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの画像 ドイツの偉人・有名人
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(筆者監修AI画像)
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フランクフルト中心部に立つゲーテ像の画像
フランクフルトの高層ビル街を背景に立つ文豪ゲーテの像(筆者撮影)

ドイツを代表する文豪ゲーテ。 私が住むフランクフルトが生んだ世界に誇る偉人です。街を歩いていると、あちらこちらでゲーテの名前を冠した場所や通りを目にし、本当にこの地で生まれ、生きた人なのだと実感します。

日本人なら誰でもその名を聞いたことがある巨匠ですが、その生涯をたどると、ドイツ各地で出会った女性たちとの、激しくも純粋な、彼の人生を深く変えた恋の数々が浮かび上がります。

まいん
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今回は、そんな文豪の生涯を、彼を取り巻く色とりどりの女性像とからめてご紹介します。

ゲーテの生涯(1749–1832)

ゲーテは、その長きにわたる生涯を「絶え間ない自己形成の過程」だと捉えていました。彼がその時々で経験した恋愛の喜びと苦悩、そして葛藤こそが、彼の創作のエネルギーとなり、『ウェルテル』から『ファウスト』に至る名作群を生み出す必然の源泉となったのです。

生い立ち

1749年8月28日、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは、神聖ローマ帝国の自由都市フランクフルト・アム・マインに生まれました。当時のドイツはまだ統一国家ではなく、大小さまざまな領邦や都市が共存していた時代です。→ 関連記事:【ドイツの歴史3】神聖ローマ帝国の成立と中世ドイツの姿(962年〜15世紀末)

父は法学士のヨハン・カスパー・ゲーテ、母はカタリーナ・エリーザベト・ゲーテ(旧姓テクストル)。一家は裕福なプロテスタントの家庭で、芸術と学問に恵まれた環境の中で暮らしていました。

教育熱心な父のもと、ゲーテは幼いころから家庭教師につき、英語・フランス語・イタリア語・ラテン語・ギリシア語・ヘブライ語を学びます。幅広い語学教育に加え、音楽や文学にも親しみ、少年期からすでに豊かな感受性を育んでいきました。

恋愛エピソード 14歳のとき、ゲーテは近所の料理屋に出入りしていた娘グレートヒェンに初恋をしたと伝えられています。しかしこの恋はほどなく終わり、その名だけがのちの代表作『ファウスト (Faust)』のヒロインとして永遠に残されました

「ファウスト」のヒロイン、グレートヒェンの挿絵
ファウストのヒロイン、グレートヒェンの挿絵 *1

家には多くの書物や美術品が並び、ゲーテは幼いころから読書と芸術に親しみました。家族や友人に向けて自作の人形劇を演じるなど、早くも創作への関心を示していました。幼少期から詩を書きはじめたとも伝えられており、こうした経験がのちの創作活動の基盤になったと考えられます。

ライプツィヒ時代

1765年、ゲーテは父の勧めでライプツィヒ大学に進み法学を学びました。けれども彼の関心は次第に文学へと傾き、詩人ゲレルトの授業で文章表現を学びながら、詩や劇作に挑戦していきます。

恋愛エピソード この頃、よく通っていたレストランの娘、アンナ・カトリーナ・シェーンコプフ(愛称ケートヒェン)に恋をしました。彼女への思いを詩に託し、やがて私家版の詩集『アネッテ(Annette)』をまとめています。若い日の恋と創作の時間は、のちのゲーテの感受性を豊かに育てる経験となりました。

アンナ・カトリーナ・シェーンコプフの肖像画
アンナ・カトリーナ・シェーンコプフの肖像 *2

しかし1768年、病のために学業を中断し、フランクフルトへ帰郷します。この静養の時期を経て、彼は再び筆を取り、次の舞台──ストラスブルクへ向かうことになります。

ストラスブルク時代

1768年の病から回復したゲーテは、1770年にストラスブルク大学へ移り、法学の課程を修めました。この地で出会った思想家ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーの影響により、彼の文学観は大きく変化します。感情や自然の力を重んじるヘルダーの思想は、後の「疾風怒濤運動」へとつながるきっかけとなりました。

恋愛エピソード また、近郊ザッセンハイムの牧師の娘フリーデリケ・ブリオンとの恋は、彼に自然の中で感情を表現する詩の世界を開かせました。この恋は短いものでしたが、彼女への思いは詩『歓迎と別離(Willkommen und Abschied)』『五月の歌(Mailied)』に結実しました。

フリーデリケ・ブリオンの肖像
フリーデリケ・ブリオンの肖像 *3

1771年、ゲーテは法学士号を取得して帰郷し、弁護士としての第一歩を踏み出しました。

ヴェッツラーとフランクフルトの時代

1772年、ゲーテは法学の実務研修のため、フランクフルト近郊の都市ヴェッツラー(Wetzlar)に滞在しました。当時ここには神聖ローマ帝国の最高裁判所があり、多くの若い法学生が集っていました。

恋愛エピソード この町で彼は、官吏の娘シャルロッテ・ブッフと出会い恋をします。しかし、シャルロッテにはすでに婚約者ヨハン・ケストナーがいたため、その恋は叶いませんでした。ゲーテは胸に残った思いを、後に小説『若きウェルテルの悩み(Die Leiden des jungen Werthers)』として昇華させます。

シャルロッテ・ブッフの肖像
シャルロッテ・ブッフの肖像 *4

1773年に戯曲『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン(Götz von Berlichingen)』を発表。翌年には『若きウェルテルの悩み』を完成させ、ゲーテは若くして文学界の頂点に立ちました。叶わぬ恋の切なさと、感情の激しさを描いたこの作品は、ヨーロッパ中の若者の共感を呼び、“ウェルテル現象”と呼ばれる社会的な熱狂を生みました。

恋愛エピソード ヴェッツラーからフランクフルトに戻ったゲーテは、銀行家の娘リリー・シェーネマンと出会い、婚約まで進みます。しかし、宗派や家庭環境の違いが壁となり、二人の関係は次第に揺らいでいきました。しがらみから逃れるようにスイスへ旅立ったゲーテは、リリーへの複雑な思いを詩や手紙に託しますが、結局この年の秋に婚約は解消。失恋の痛みを胸に、ゲーテは新たな人生の舞台――ヴァイマル(ワイマール)へと旅立ちました。

リリー・シェーネマンの肖像
リリー・シェーネマンの肖像 *5

ヴァイマル時代

1775年、ゲーテはカール・アウグスト公に招かれ、若くしてヴァイマルの宮廷に迎え入れられました。小さな公国ながら文化の中心として名を高めつつあったこの町で、彼は公の信任を得て政務にも携わるようになります。財政や都市整備、軍の改革などに尽力しましたが、理想と現実のはざまで次第に心をすり減らしていきました。

恋愛エピソード そんな折、ゲーテは宮廷夫人シャルロッテ・フォン・シュタインと出会います。彼女は7歳年上の既婚女性で、教養と知性を備え、穏やかな気品に包まれた人でした。二人は互いに深い信頼を寄せ合い、長い歳月にわたり心を通わせます。研究者の多くは、この関係をプラトニックな愛情として捉えています。

シャルロッテ・フォン・シュタインの肖像
シャルロッテ・フォン・シュタインの肖像 *6

ゲーテは彼女に精神的な安らぎを見いだし、数多くの手紙を送りました。その静かな交流の中で、彼の詩は内省と成熟を深め、のちに“ヴァイマル古典主義”と呼ばれる芸術的世界へとつながっていきます。

政務と文学、現実と理想、友情と愛情。その狭間で揺れながらも、ゲーテはこの時期に人間としての大きな成長を遂げました。1782年にはフリーメイソンに入会し、貴族の称号を授けられます。けれども、次第に彼の心には“遠く未知の地への憧れ”が膨らんでいきました。宮廷の束縛や職務の重圧、そして12年続いたシャルロッテへの複雑な想いから逃れるように――ゲーテはついに、イタリアへ旅立つ決意を固めます。

イタリア紀行

1786年9月、37歳のゲーテは、誰にも告げずにヴァイマルを離れ、偽名を使ってイタリアへ向かいました。政務と創作のあいだで行き詰まりを抱え、長く続いた心の重荷から抜け出すための「逃避」と「再生」の旅でした。

北イタリアを通り抜けたのち、彼は念願のローマへ到着します。ここでゲーテは芸術家たちの集う家に身を置き、古代彫刻や遺跡を熱心に観察しました。自らもスケッチを重ね、建築・絵画・彫刻から「古典美とは何か」を学び直します。ローマの街並みや陽光、復活祭やカーニバルなどの宗教儀礼も細かく記録し、彼の創作意欲は徐々に甦っていきました。

ローマ近郊に滞在するゲーテを描いた絵画
ローマ近郊に滞在するゲーテを描いた絵画 *7

1787年2月には南へ向かい、ナポリとシチリア島を訪れます。ヴェスヴィオ火山の噴煙を間近に観察し、ポンペイやパエストゥムの遺跡に立ち、自然と古代の壮大さに深く感動しました。シチリアでは植物の観察にも没頭し、のちに「原植物(Urpflanze)」と呼ばれる植物学的な着想へとつながる、大きなヒントを得ています。

その後ふたたびローマに戻ると、ゲーテは創作に集中します。ローマ滞在期に、戯曲『イフィゲーニエ』の韻文版や『エグモント』が完成し、長く中断していた『ファウスト』の改稿も大きく進みました。芸術への情熱を取り戻した彼は、毎日の散策と研究を積み重ねながら、“新しい自分”を生み出していきます。

ほぼ2年にわたるイタリア滞在は、ゲーテにとってまさに精神の再生の時期でした。美しい自然と古代の遺産に触れ、創作者としての感覚を取り戻したこの経験が、のちの「ヴァイマル古典主義」と呼ばれる成熟した芸術世界へとつながっていきます。

再びヴァイマル

1788年、ゲーテは約2年におよぶイタリア滞在を終えてヴァイマルへ戻りました。古代芸術に触れ、心身ともに再生した彼にとって、帰国後の宮廷生活は以前よりも窮屈に感じられるようになります。そして、この変化は最も親しかった人物との関係にも影を落としました。

恋愛エピソード 12年にわたり精神的な支えとなってきたシャルロッテ・フォン・シュタインに対し、ゲーテは出発の際にほとんど告げずに姿を消しており、帰国後も以前のようには心を寄せることができませんでした。シャルロッテは深く傷つき、二人の長い交流はこの時期を境に事実上の断絶を迎えます。彼女の手紙が返還されたことは、関係の決定的な終わりを象徴する出来事として知られています。

恋愛エピソード ちょうどその頃、ゲーテの前に新たな女性が現れます。若い女性クリスティアーネ・ヴルピウスです。1788年、願い事の文書を届けにきた彼女と親しくなり、やがて同居生活が始まりました。身分差ゆえ宮廷社会からの批判は大きかったものの、クリスティアーネは現実的で温かい家庭を築き、創作に没頭するゲーテを生活面で力強く支えました。1789年には息子アウグストが誕生し、芸術家としてだけでなく父としての新しい役割もこの時期に加わります。

クリスティアーネ・ヴルピウスの肖像
クリスティアーネ・ヴルピウスの肖像(ゲーテ作)*8

一方、外の世界ではフランス革命が進み、ヨーロッパ全体が不安定な情勢に揺れていました。ゲーテは政務に携わりながら文学活動を続け、『トルクワート・タッソ』などの作品に取り組む日々を送ります。こうして、シャルロッテとの別れとクリスティアーネとの新たな生活を背景に、ゲーテのヴァイマルでの第二の人生が始まっていきました。

シラーとの出会い

1780年代末、ゲーテはイタリアから得た新たな感性を胸に、ヴァイマルでの創作に取り組んでいました。しかし、政治や行政の仕事が多く、文学に全力を注げないもどかしさも抱えていました。そんな中で転機となったのが、若き劇作家フリードリヒ・シラーとの交流です。

フリードリヒ・シラーの肖像
フリードリヒ・シラーの肖像 *9

1794年、二人は本格的な協力関係を結び、互いの才能を刺激し合いながら数多くの文学企画を進めていきました。友として、批評家として、そして創作上の理解者として、シラーはゲーテにとって欠かせない存在となります。

この時期に生まれた活動が、後に「ヴァイマル古典主義」と呼ばれるドイツ文学史上の重要な潮流となりました。古代芸術への憧憬と、人間精神の調和を理想に掲げたこの様式は、両者の思想と創作の集大成でもあります。ゲーテはシラーの率直な批評を信頼し、シラーもまたゲーテの構想力と経験を尊敬していました。

しかし、1805年にシラーが亡くなると、ゲーテは深い喪失感に包まれます。長年の親友であり仕事の同志を失った彼にとって、この別れは精神的に大きな痛手であり、その喪失は創作上の空白としても現れました。

恋愛エピソード ちょうどその頃、ゲーテの心を静かに揺さぶった女性が現れます。18歳のヴィルヘルミーネ・ヘルツリープです。1807年、当時58歳のゲーテは、若々しい彼女の明るさと知性に惹かれ、秘めた恋心を抱くようになります。彼はその感情を自分なりに整理しながら、作品へと昇華させました。長編小説『親和力』(1809)は、彼女への思いが背景にあると指摘される代表作のひとつです。

ヴィルヘルミーネ・ヘルツリープの肖像
ヴィルヘルミーネ・ヘルツリープの肖像 *10

シラーとの協力によって成熟した芸術観と、彼を取り巻く人間関係の変化がこの時期に重なり、ゲーテは人生の後半へと静かに歩みを進めていきました。

ナポレオンとの邂逅

19世紀初頭、ヨーロッパはナポレオン戦争のただ中にありました。シラーの死を経て静かに創作に向き合っていたゲーテの生活も、やがて大きな時代の動きに巻き込まれていきます。

1806年、イエナ・アウエルシュタットの戦いでプロイセン軍が壊滅すると、勝利したナポレオン軍は急速にヴァイマルへ侵攻しました。街は占領下に置かれ、住民は緊張に包まれます。この混乱の最中、酔ったフランス兵がゲーテ邸に乱入し、家財を荒らす事件が起こりました。危険が迫る状況で、家を守り抜いたのが長年連れ添ったクリスティアーネ・ヴルピウスでした。彼女は駐屯兵と協力して状況を収め、ゲーテを助けたと伝えられています。この献身に心を打たれたゲーテは、身分差ゆえ避けてきた正式な婚姻を改めて考え直し、その直後にクリスティアーネと結婚する決意を固めました。式は静かに行われ、公爵カール・アウグストが保証人を務めました。

1808年には、ついにゲーテとナポレオンが直接対面します。エアフルト会議に随行したゲーテは、当時ヨーロッパ支配の頂点にあった皇帝の前に招かれます。ナポレオンは開口一番、『若きウェルテルの悩み』を話題にし、「私はこの本を七度読んだ」と語ったと伝えられています。文学作品を精密に読み込む姿勢、そして一国の君主とは思えないほどの鋭さと熱意に、ゲーテは深い感銘を受けました。後に彼がナポレオンを「時代を貫く天才」と評した背景には、この鮮烈な印象がありました。

ナポレオンとゲーテの対面
ナポレオンとゲーテの対面 *11

1806年から1808年は、ゲーテにとって政治的緊張と個人的転機が重なる特別な時期であり、ナポレオンとの対面に加えて1808年に長年の大作『ファウスト 第一部』を刊行したことで、文豪としての人生に新たな深みをもたらした節目となりました。

創作の集大と晩年

1816年、長年連れ添ったクリスティアーネを亡くしたことで、ゲーテは深い悲しみに沈みました。この喪失を境に、若い頃から抱えてきた思想や研究テーマを改めて見つめ直し、自然科学論・色彩論・植物形態学・自伝『詩と真実』など、人生の総括ともいえる仕事が本格化していきます。1810年代後半からのゲーテは、文学者としてだけでなく研究者としての側面も際立ち、精神の静けさと成熟を伴う晩年へと入っていきました。

恋愛エピソード その中で、晩年にも心を深く揺さぶる出会いが続きます。1814年には、才気あふれる マリアンネ・フォン・ヴィレマー と出会い、互いに詩を贈り合う交流が始まります。既婚者であった彼女との関係は慎ましいものでしたが、精神的な結びつきは強く、この詩の往復が『西東詩集』(1819)へと結実しました。とりわけ“ズライカ”章には、マリアンネの影響が色濃く反映されていることが広く知られています。

マリアンネ・フォン・ヴィレマーの肖像
マリアンネ・フォン・ヴィレマーの肖像 *12

恋愛エピソード さらに1821年、ゲーテは若い貴婦人 ウルリーケ・フォン・レヴェツォー と出会い、80歳を目前にした彼の心を大きく揺さぶりました。しかし思いが実ることはなく、ゲーテは静かに身を引かざるを得ませんでした。この失恋の痛みは深く、1823年に生まれた代表的抒情詩『マリーエンバート悲歌』として昇華されます。これが「人生最後の恋」と呼ばれるゆえんです。

ウルリーケ・フォン・レヴェツォーの肖像
ウルリーケ・フォン・レヴェツォーの肖像 *13

晩年のゲーテは、家族、とくに孫たちに囲まれながら穏やかな日々を過ごしつつ、執筆活動を続けました。そして 1831年、死のわずか1年前に『ファウスト第二部』を完成させ、長年の創作人生に大きな区切りをつけます。

1832年3月22日、ゲーテはヴァイマルの自宅で静かに息を引き取りました。享年82歳最期の言葉は「もっと光を(Mehr Licht!)」だったと伝えられています。遺体は親友シラーとともに、ヴァイマル公爵家の納骨堂(フュルステングルフト) に安置され、今も訪れる人々にその生涯を語りかけています。

ゲーテの作品紹介(ネタばれ注意)

文豪ゲーテの生涯を代表する作品は数多くありますが、特に彼の恋愛と苦悩が色濃く反映された、日本人にもなじみ深い2作品(『ウェルテル』と『ファウスト』)をご紹介します。

『若きウェルテルの悩み』

若き青年ウェルテルは、友人の結婚式で出会ったシャルロッテに心を奪われます。彼女は心優しく魅力的でしたが、すでに婚約者アルベルトがいました。ウェルテルは恋心を抑えようとしながらも、ロッテへの想いは募り、友情と恋愛の境界で苦悩します。アルベルトも誠実な人物であるため、ウェルテルは誰も傷つけられないまま身動きが取れなくなっていきます。

次第に、叶わぬ恋への絶望と孤独が彼の心を蝕み、ウェルテルはロッテのもとを離れてもなお、彼女を忘れることができません。最後には、彼は自らの命を絶つ道を選び、深い悲しみのうちに物語は終わります。

『ファウスト』第一部+第二部

あらゆる学問を極めながらも人生に満たされず、絶望していた老学者ファウストは、悪魔メフィストフェレスと契約し、「この瞬間こそ最高だ」と思えたら魂を渡すと約束します。若さと活力を取り戻したファウストは、純粋な娘グレートヒェン(マルガレーテ)と出会い恋に落ちますが、欲望と無自覚な行動が彼女の家族を不幸へと導き、悲劇的な結末を招きます。

第二部では物語はより象徴的・精神的な世界へ移り、ファウストは権力や創造の喜びを求めながら人生の意義を追い続けます。晩年、彼は人々が自由に働ける理想の土地を築きたいと願い、その充実の瞬間を「至高」と口にします。しかし最後には神の救済によって魂は救われ、ファウストは人間としての永遠の探究を肯定される形で物語を閉じます。

ゲーテの名言

ゲーテはその生涯において、数々の名言を生み出しています。ここでは、世間で広く「ゲーテの名言」として知られている言葉を、ドイツ語と日本語対比でご紹介します。人生・学び・恋愛の3つのテーマに分けてまとめました。

人生に関する言葉

„Es gehört viel Mut dazu, in der Welt nicht missmutig zu werden.“
この世界で不機嫌にならずにいるためには、大きな勇気が必要だ

„Wer Tiere quält, ist unbeseelt und Gottes guter Geist ihm fehlt, mag noch so vornehm drein er schaun, man sollte niemals ihm vertrau’n.“
動物を虐げる者は魂を欠き、神の善き精神も宿さない。どれほど上品に見えようとも、決して信頼してはならない

学びに関する言葉

„Mit dem Wissen wächst der Zweifel.“
知識が増えるほど、疑いもまた大きくなる。

„Die beste Bildung findet ein gescheiter Mensch auf Reisen.“
賢い人が得る最高の教育は、旅の中にある。

恋愛に関する言葉

„Lieben ist die höchste Kunst.“
愛することは、最も高貴な芸術である。

„Trennen sich zwei Liebende, so ist es niemals ihre Schuld allein.“
恋人たちが別れるとき、それは決してどちらか一方だけの責任ではない。

まいん
まいん

ゲーテは名言が多いので選ぶのに苦労しました。いつか名言だけをまとめた記事を書いてみたいです♡

ゲーテの足跡をたどる旅

「恋する文豪」の人間的な魅力に触れたところで、最後に彼の劇的な生涯の舞台となった、ドイツ国内の主要なゆかりの地をご紹介します。フランクフルトの生家からヴァイマールの終焉の地まで、彼が確かに生きた足跡をたどってみましょう。

ゲーテハウス (Goethe-Haus)|フランクフルト

1749年にゲーテが誕生したフランクフルトにある家で、青年期までを過ごした場所です。建物は第二次世界大戦の空襲で失われましたが、戦後に資料をもとに細部まで忠実に復元され、18世紀当時の生活空間が再現されています。隣接する博物館では、文学・芸術・科学に関する資料も展示され、作家としての原点を知ることができるスポットです。ゲーテハウスの公式サイト(英)

フランクフルトのゲーテハウスとミュージアム入口
フランクフルトにあるゲーテハウス(筆者撮影)

📍Frankfurter Goethe-Haus: Großer Hirschgraben 21, 60311 Frankfurt am Main
開館時間:10:00〜18:00 チケット:大人12ユーロ

アウアーバッハス・ケラー(Auerbachs Keller)|ライプツィヒ

ライプツィヒ大学時代のゲーテがよく訪れた老舗の酒場で、『ファウスト』第一部の「酒場の場面」の舞台となった場所です。現在も営業しており、店内にはファウストとメフィストフェレスの像や関連壁画が残されています。作品世界を実際に体感できる、文学ファン必訪のスポットです。
お店のサイト(英)

ライプツィヒのアウアーバッハス・ケラーの彫像
アウアーバッハス・ケラー入口にある『ファウスト』関連の彫像(筆者撮影)

📍Auerbachs Keller: Mädler Passage, Grimmaische Strasse 2-4, 04109 Leipzig
営業時間:月木日12:00 pm -10:00 pm、火水5:00 pm – 10:00 pm, 金土12:00 pm – 11:00 pm

フュルステングルフト(Fürstengruft/ヴァイマル公爵家の納骨堂)|ヴァイマル

ヴァイマルの歴史的墓地にあるフュルステングルフトは、ゲーテとシラーが並んで眠る場所です。内部には静かな礼拝堂があり、二人の石棺が安置されています。一般公開されており、訪れる人は落ち着いた雰囲気の中で、文豪が人生を終えた地の重みを感じることができます。ゲーテの晩年を締めくくる場所として、ヴァイマル文化を象徴するスポットです。公式サイト(英)

📍Fürstengruft: Historischer Friedhof am Poseckschen Garten, 99423 Weimar
入場料と公開時間はこちらをチェック

📚ドイツには、音楽や芸術、科学や政治など、さまざまな分野で世界に名を残した人たちがいます。彼らの生涯や功績を紹介する記事は、[ドイツの偉人・有名人カテゴリー]にまとめています。

おわりに

こうしてゲーテの生涯をたどってみると、ドイツ語圏の研究者がよく語る「ゲーテは天才でありながら、恋愛に関しては年齢不相応に幼く、心のままに動く人物だった」という言葉に思わず納得してしまいます。確かに彼の恋はどれも衝動的で、感情が先に走り出してしまうのに、同時に驚くほどプラトニックで誠実でもありました。晩年のウルリーケへの片思いに至っては、「むしろ可愛い」と評されるほどです。

  • 天才だが恋愛は下手
  • 作品は超人的でも、感情は少年のよう
  • 恋に落ちる→苦しむ→作品に昇華する(いつも同じパターン)

「恋愛だけは、ゲーテの永遠の弱点であり続けた」という評もありますが、その弱さこそが彼の人間らしさであり、作品を生む源でもあったのでしょう。偉大な文豪であると同時に、最後まで“恋に振り回される一人の人間”だった——そう思うと、超人的な天才の「普通の顔」が見え、親近感さえ感じてしまうのです。

まいん
まいん

次にゲーテの作品に触れる機会には、そんな「恋する文豪」の可愛い素顔を想像しながら読んでみてください。新たな発見があるかも知れません。

フランクフルト観光完全ガイド|現地在住の筆者が紹介する街歩きモデルコース2選

【ドイツの偉人・有名人】第4回 ヨハネス・グーテンベルク|活版印刷で世界を動かした男

出典:
*1 Public Domain, via Wikimedia Commons *2 Auguste Hüssener Public Domain, via Wikimedia Commons

*3 Public Domain, via Wikimedia Commons *4 Public Domain, via Wikimedia Commons
*5 Public Domain, via Wikimedia Commons *6 Public Domain, via Wikimedia Commons
*7 Johann Heinrich Wilhelm Tischbein, Public Domain, via Wikimedia Commons
*8 Johann Wolfgang von Goethe, Public Domain, via Wikimedia Commons
*9 Anton Graff, Public Domain, via Wikimedia Commons
*10 Luise Seidler, Public Domain, via Wikimedia Commons
*11 Public Domain, via Wikimedia Commons
*12 Johann Jakob de Lose, Public Domain, via Wikimedia Commons
*13 Public Domain, via Wikimedia Commons

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