【ドイツの偉人・有名人】第1回 マレーネ・ディートリヒ|美と反骨のディーヴァ、その人生とドイツゆかりの地を巡る

ドイツ出身の女優マレーネ・ディートリヒをバウハウス風に描いた画像 ドイツの偉人・有名人
マレーネ・ディートリヒ(筆者監修AI画像)
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私が初めてマレーネ・ディートリヒの映画を観たのは、『嘆きの天使』でした。まだドイツ語も分からず、その女優が誰なのかも知らなかったのに、スクリーンの中の彼女の凛とした眼差しと、その独特の歌声が子供心にいつまでも鮮明に残りました。

時代を超えて語り継がれるこのドイツ出身の女優は、美しさだけでなく、戦争と平和、祖国と亡命、自由と信念といったテーマを体現した存在です。ここでは、彼女の人生の軌跡をたどりながら、ディートリヒゆかりのドイツ国内のスポットもご紹介します。

映画『ノー・ハイウェイ』出演時のマレーネ・ディートリヒの肖像写真
映画『ノー・ハイウェイ』出演時のポートレート (1951) *1

マレーネ・ディートリヒとは?

ベルリンの少女から映画スターへ

1901年12月27日、帝政ドイツ時代のベルリン・シューネベルク地区に、一人の少女が誕生しました。マリー・マグダレーネ・ディートリヒ ―― のちに「マレーネ・ディートリヒ」として世界に知られることになる女性です。

ベルリン・シューネベルクにあるマレーネ・ディートリヒの生家
ベルリン・シューネベルクにあるマレーネの生家 *2

父は警察官で元軍人、母は敬虔なプロテスタント。規律と信仰のもとに育ったマレーネは、幼いころから音楽の才能を発揮し、ヴァイオリンの道を志していました。しかし、手を痛めたことで演奏家への夢を断念。失意のなかで舞台芸術の世界に魅了され、マックス・ラインハルト一座の関係者から演技を学び、ベルリンのドイツ座(Deutsches Theater)で女優としての第一歩を踏み出しました。

1920年代のベルリンは、戦後の混乱の中でも芸術の熱気に満ちた街でした。マレーネもその時代の空気の中で舞台や映画に出演し、次第に注目を集めていきます。

そして1930年。彼女の運命を変えた作品 ―― ドイツ映画『嘆きの天使(Der blaue Engel)』に主演します。退廃と知性が同居するその姿、そして名曲「”Ich bin von Kopf bis Fuß auf Liebe eingestellt” 英題 “Falling in Love Again (Can’t Help It)”」を歌う独特のハスキーヴォイス。その魅力は瞬く間に世界を席巻しました。

映画『嘆きの天使』(1930年)で舞台に立つマレーネ・ディートリヒ
映画『嘆きの天使』(1930年)で舞台に立つマレーネ *3
まいん
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Ich bin von Kopf bis Fuß auf Liebe eingestellt というドイツ語の意味は「私は頭の先から足の先まで、愛のために準備されている」です🩷

自由を貫いた女優の軌跡

この成功をきっかけにハリウッドへ渡ったマレーネは、『モロッコ』『間諜X27』『上海特急』『ブロンド・ヴィーナス』『スカーレット・エンプレス』『裁かるゝ女』など、次々と名作に出演。男装スタイルを堂々と纏い、独立した女性像を演じた彼女は、スクリーンを超えて“新しい時代の女性の象徴”となりました。

1930年代後半、ドイツでナチス政権が台頭すると、政府は彼女に協力を求めます。しかし、マレーネはそれを断り、1939年にアメリカ国籍を取得。祖国を離れ、反ナチスの立場を鮮明にしました。この決断が、彼女の人生をさらに大きく変えていくことになります。

第二次世界大戦中、マレーネは連合軍兵士のために慰問活動を行い、前線で歌い、兵士たちを励ましました。故郷ドイツから「裏切り者」と呼ばれながらも、彼女は自らの信念を貫き通したのです。

1944年、ベルギーの米軍病院で負傷兵のギプスにサインするマレーネ・ディートリヒ
1944年、ベルギーの米軍病院で負傷兵のギプスにサインするマレーネ *4

戦後は映画から少しずつ離れ、歌手としての活動に重心を移しました。1950〜70年代にかけては、世界各地でコンサートを開催。舞台の上では、年齢を感じさせない妖艶さと気品を放ち続けました。

晩年はパリに居を構え、静かな日々を送りました。1992年5月6日、パリの自宅でその生涯を閉じます。享年90歳。彼女の望みにより、遺体は故郷ベルリンに戻され、Städtischer Friedhof III(Schöneberg III/Stubenrauchstraße) に埋葬されました。

墓碑には、一つの言葉が刻まれています。

Hier steh ich an den Marken meiner Tage(私は今、私の日々のしるしのもとに立つ)

波乱の時代を誇り高く生き抜いた女性 ―― マレーネ・ディートリヒの人生は、今もベルリンの風の中に静かに息づいています。

祖国を越えて歌った女性 ― マレーネ・ディートリヒの信念

前線で歌ったマレーネ

第二次世界大戦が激化するなか、マレーネ・ディートリヒはアメリカ軍の慰問活動に参加しました。1944年から45年にかけて、北アフリカやイタリア、フランスなどの戦地を巡り、連合軍兵士のために歌を届けたのです。

1944年、アメリカ軍の兵士たちを前に慰問公演を行うマレーネ・ディートリヒ
1944年 アメリカ軍を慰問するマレーネ *5

公演先の多くは、爆撃の跡が残る町や、泥と埃にまみれた野営地。彼女はドレスではなく軍服に身を包み、簡素な舞台で歌い続けました。危険を顧みないその姿に、兵士たちは親しみを込めて彼女を「マザー・マレーネ(Mother Marlene)」と呼んだといいます。

戦場に響いた『リリー・マルレーン』

彼女が歌った曲の中でも特に知られているのが『リリー・マルレーン(Lili Marleen)』です。もともとこの歌はドイツで生まれ、兵士たちの間で広まった恋の歌でした。やがて敵味方を問わず人気となり、ラジオを通じて両陣営の兵士が同じ歌を聴くという、不思議な現象を生みました。

ディートリヒはこの曲をドイツ語と英語の両方で歌い、戦場で披露しました。それは単なる慰問ではなく、分断された時代にあって“音楽だけが越えられる境界”を示す出来事でもありました。

戦後の評価と再評価

終戦後、ディートリヒの行動は国によって異なる評価を受けました。アメリカでは1947年に自由勲章(Medal of Freedom)を授与され、フランスからもレジオンドヌール勲章を受けています。

一方、祖国ドイツでは長く複雑な感情が残りました。ナチス政権への協力を拒否した彼女を「裏切り者」と呼ぶ声もあったのです。しかし時の流れとともに、その決断と勇気は次第に理解されるようになり、1960年にはベルリン市から名誉市民の称号を授与されました。

祖国を離れ、異国の地で信念を貫いたマレーネ・ディートリヒ。その歌声と生き方は、今もなお「自由を選んだ芸術家」として語り継がれています。

ディートリヒが遺した名言とその意味

芯の通った自立した女性であるマレーネ・ディートリヒは、生涯に多くの印象的な言葉を残しました。その一つひとつには、彼女の美学と人生哲学がにじんでいます。ここでは、その中から特に彼女らしい10の名言を紹介します(日本語部分は意訳です)。

  1. I dress for the image. Not for myself, not for the public, not for fashion, not for men.
    私はイメージのために装う。自分のためでも、大衆や流行、男性のためでもない。
  2. Glamour is what I sell. It’s my stock in trade.
    私が売るのは魅力。グラマーこそが私の仕事道具。
  3. Courage and grace is a formidable mixture. The only place to see it is in the bullring.
    勇気と優雅さが合わさると、最強の組み合わせになる。それが見られるのは闘牛場だけ。
  4. Once a woman has forgiven her man, she must not reheat his sins for breakfast.
    女が男を許したなら、その罪を朝食のテーブルで蒸し返してはいけない。
  5. In language, clarity is everything.
    言葉において大切なのは、何よりも明晰さである。
  6. There is a gigantic difference between earning a great deal of money and being rich.
    多くの金を稼ぐことと、本当に豊かであることのあいだには、大きな違いがある。
  7. I am, at heart, a gentleman.
    私は心の中では紳士なの。
  8. A country without art is a country that has lost its soul.
    芸術を失った国は、魂を失った国である。
  9. The weak are more likely to make the strong weak than the strong are likely to make the weak strong.
    弱者は強者を弱くする可能性のほうが、強者が弱者を強くする可能性よりも高い。
  10. I do not think we have a “right” to happiness. If happiness happens, say thanks.
    幸せになる「権利」なんてない。もし幸せが訪れたなら、感謝すればいいのよ。
マレーネ・ディートリヒの若き日のポートレート写真
若き日のポートレート写真(1930年頃)*6

どの言葉にも、華やかなスターとしての顔と、時代を超えて生きた一人の女性としての真実が映し出されています。それは、彼女の生涯そのものが名言だったかのように感じられます。

今も息づくマレーネの足跡【聖地巡礼】

マレーネ・ディートリヒが生まれ、名声を得て、最期に還った街――ベルリン。彼女の足跡をたどる場所は、今もこの街のあちこちに残されています。ここでは、その中でも特にゆかりの深い3つのスポットをご紹介します。

ベルリン・シューネベルクの生家(Leberstraße 65)

マレーネ・ディートリヒはベルリン・シューネベルクの静かな住宅街で誕生しました。現在もその生家は残されており、外壁には彼女の名を刻んだ記念プレート(Gedenktafel)が掲げられています。

ベルリン・シューネベルクの生家にあるマレーネ・ディートリヒの記念プレート
ベルリン・シューネベルクの生家にある記念プレート *7

「私は、神に感謝すべきことに、ベルリンの女です(Ich bin, Gott sei Dank, Berlinerin.)」と記されたその小さなプレートの前には、時おり花が置かれ、世界中のファンが足を止めて静かに写真を撮っていきます。住宅地の中にひっそりと佇むその一角は、マレーネの原点を感じさせる穏やかな場所です。

マレーネ・ディートリヒ・プラッツ(Marlene-Dietrich-Platz)

ポツダム広場の南側に位置するこの広場は、1989年にベルリン市によって命名されました。近代的なビルが立ち並ぶ一角に、その名を冠した通りと広場があり、かつて映画の都として栄えたベルリンにふさわしいモニュメントとなっています。

周囲には「シアター・アム・ポツダマー・プラッツ」や映画館、ホテルが集まり、ディートリヒが象徴した“映画と芸術のベルリン”の息づかいを今に伝えています。

眠りの地 ― Städtischer Friedhof III(Stubenrauchstraße 43–45)

マレーネ・ディートリヒの眠る場所は、ベルリン南西部フリーデナウ地区にある市立墓地です。
墓碑には彼女の人生を象徴する一節が刻まれ、今も世界中のファンが花を手向けに訪れます。

ベルリンの墓地にあるマレーネ・ディートリヒの墓
ベルリンの墓地にあるマレーネ・ディートリヒの墓 *8

静かな並木道の先にあるその墓は、華やかな時代を生き抜いた彼女の生涯を静かに見守っています。

さいごに

マレーネ・ディートリヒという存在には、単なる女優の枠を超えた力があります。祖国を愛しながらもナチズムには断固としてNOを突きつけた勇気、芸術を武器にして戦争と闘った姿、そして何よりも自由であろうとする意志の強さ。

彼女の生き方は、現代の私たちにも問いかけてきます。「信念を貫くこと」とはどういうことか?「美しくあること」とは何のためなのか?

ドイツ文化には、華やかさと静けさ、自由と責任、誇りと懺悔といった、相反する感情が共存しています。ディートリヒの人生は、その縮図のようにも思えるのです。

📚ドイツには、音楽や芸術、科学や政治など、さまざまな分野で世界に名を残した人たちがいます。彼らの生涯や功績を紹介する記事は、[ドイツの偉人・有名人カテゴリー]にまとめています。

まいん
まいん

信念を貫いた人って、時代が変わっても輝きが消えないんですね。

🌹美のために奥歯を抜いた?──マレーネ・ディートリヒのストイックな逸話

マレーネ・ディートリヒにまつわる逸話のひとつに「頬をほっそり見せるために奥歯を抜いた」という話があります。真偽は定かではありませんが、彼女が自分のイメージづくりを徹底していたことを象徴するエピソードとして語り継がれています。

ディートリヒはライティングの角度やメイクの濃淡まで細かく指示を出し、「どう映るか」を熟知した女優でした。時に監督よりも映像に精通していたとも言われ、スクリーンの中の“完璧な自分”を演出することに妥協を許さなかったのです。

奥歯抜歯の話が本当かどうかはさておき、そのくらいしていても不思議ではない――そう思わせるだけの、強い意志とプロ意識が彼女にはあったのでしょう。

出典:*1 TonyPolar (derivative work), Public Domain, via Wikimedia Commons
*2 LezFraniak, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
*3 Unknown author, Public Domain, via Wikimedia Commons
*4 Unknown author, Public Domain, via Wikimedia Commons *5 Public Domain, via Wikimedia Commons
*6 George Grantham Bain Collection (Library of Congress), Public Domain, via Wikimedia Commons
*7 Axel Mauruszat, CC BY 2.0 de, via Wikimedia Commons *8 Axel Mauruszat, CC BY, via Wikimedia Commons

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