【ドイツの歴史8】では、第一次世界大戦後のワイマール共和国と、ナチ党が支持を広げていく流れについて見てきました。敗戦後の混乱からまだ立ち直れずにいたドイツで、急速に存在感を強めたのが、アドルフ・ヒトラー率いるナチ党です。
1933年1月30日、ヒトラーはドイツの首相に任命されました。今回は、ヒトラー政権の成立からナチス独裁、第二次世界大戦、そして1945年のドイツ敗戦までをたどります。

ドイツ史の中でも特に重いテーマですが、現代のドイツを理解するうえで欠かせない時代です。
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ヒトラー政権の成立とナチス独裁
首相任命から全権委任法へ
1933年1月30日、ヒトラーはドイツの首相に任命されました。この時点で、ドイツがすぐに完全な独裁国家になったわけではありません。議会も憲法も残っていました。しかしヒトラー政権は、成立直後から反対派を弾圧し、権力を急速に集中させていきます。
大きな転機となったのが、1933年2月の国会議事堂放火事件です。この事件をきっかけに、政府は非常令を出し、言論や集会の自由を制限しました。共産党員や反対派は次々と逮捕されます。

さらに3月には全権委任法が成立し、政府は議会を通さずに法律を作れるようになりました。こうしてドイツの民主主義は、短期間で大きく崩されていきました。
一党独裁体制の確立
全権委任法の後、ナチ党は反対勢力をさらに排除していきます。共産党や社会民主党は弾圧され、労働組合も解散させられました。1933年7月には新しい政党を作ることが禁止され、ナチ党以外の政党は存在できなくなります。

1934年には、ナチ党内部の有力者も粛清されました。さらにヒンデンブルク大統領が死去すると、ヒトラーは首相と大統領の権限を合わせ持ち、「総統」となります。こうしてドイツは、ヒトラーを頂点とする一党独裁国家へと変わっていきました。
統制される社会と迫害の拡大
宣伝・教育・警察による国民統制
ヒトラーが権力を掌握した後、ナチ党は人々の日常生活にも大きな影響を及ぼしていきました。
その中心となったのが、宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスです。新聞、ラジオ、映画などのメディアは厳しく管理され、ナチ党に都合の悪い情報は次第に排除されていきます。国民には、ヒトラーをドイツ再建の指導者として称える情報が繰り返し伝えられました。

教育の場でもナチ党の思想が広められます。学校では国家への忠誠や軍事的な価値観が重視され、多くの少年少女が「ヒトラーユーゲント」などの青年組織に参加しました。
一方で、反対意見を持つ人々への監視も強まります。秘密国家警察「ゲシュタポ」は、政権に反対する人々を取り締まり、多くの人が逮捕されました。こうしてドイツ社会は、宣伝、教育、警察組織によって徐々に統制されていったのです。
ユダヤ人迫害と水晶の夜
ナチ党の政策の中でも特に深刻だったのが、ユダヤ人への迫害です。1935年には「ニュルンベルク法」が制定され、ユダヤ人はドイツ国民としての権利を大きく制限されました。公職や多くの職業から排除され、結婚にも厳しい制限が設けられます。
当初は法律による差別が中心でしたが、やがて迫害はさらに激しくなっていきました。
1938年11月には「水晶の夜(Kristallnacht)」と呼ばれる事件が発生します。ドイツ各地でユダヤ人の商店や住宅が襲撃され、多くのシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)が焼き払われました。割られたガラスが街中に散乱したことから、この名で呼ばれています。この事件は、ユダヤ人迫害が単なる差別政策から、暴力を伴う大規模な弾圧へと変わったことを示す出来事でした。
ホロコースト
迫害から大量虐殺へ
水晶の夜の後、ユダヤ人への迫害はさらに厳しくなっていきました。財産の没収、職業からの排除、移住の強制などによって、ユダヤ人はドイツ社会の中で生きる場所を次第に奪われていきます。そして第二次世界大戦が始まると、ナチスの支配下に置かれる地域は一気に広がりました。ドイツ国内だけでなく、占領されたヨーロッパ各地のユダヤ人も、迫害の対象となっていきます。

特に東ヨーロッパでは、ユダヤ人はゲットーと呼ばれる隔離地区へ押し込められ、劣悪な環境の中で暮らすことを強いられました。やがて彼らは、強制収容所や絶滅収容所へ移送されていきます。ナチス・ドイツによるこの組織的な迫害と大量虐殺は、現在「ホロコースト」と呼ばれています。
強制収容所と犠牲者たち
ホロコーストの象徴として知られているのが、アウシュヴィッツをはじめとする強制収容所です。収容所に送られた人々は、過酷な労働、飢え、病気、暴力にさらされました。絶滅収容所では、多くのユダヤ人が到着後まもなく殺害されました。
犠牲になったのはユダヤ人だけではありません。ロマ、障害者、政治的反対者、同性愛者、エホバの証人、ソ連軍捕虜など、多くの人々もナチスの迫害対象となりました。ホロコーストは、ナチスの人種主義と国家権力が結びついて進められた大量虐殺でした。そしてこの犯罪は、第二次世界大戦の拡大とともに、ヨーロッパ各地へ広がっていくことになります。
第二次世界大戦への道
再軍備と対外拡張
ヒトラー政権は成立後、第一次世界大戦後の国際秩序を次々と覆していきました。その一つが再軍備です。ヴェルサイユ条約によってドイツ軍は大きく制限されていましたが、1935年、ヒトラーは徴兵制の復活を発表し、本格的な軍備拡張を進めます。
翌1936年には、非武装地帯とされていたラインラントへ軍を進駐させました。これは明らかな条約違反でしたが、イギリスやフランスは軍事的な対応を取りませんでした。ヒトラーは、この成功によって自信を深めていきます。
1938年にはオーストリアを併合し、さらにチェコスロヴァキアのズデーテン地方の割譲を要求しました。イギリスやフランスは戦争を避けるため、ミュンヘン協定によってこれを認めます。

しかし、ヒトラーの要求はそこで止まりませんでした。翌1939年にはチェコスロヴァキアを実質的に解体し、ヨーロッパ諸国の不信感は急速に高まっていきます。こうしてドイツは、外交交渉と軍事的圧力を組み合わせながら、少しずつ領土を拡大していったのです。
ポーランド侵攻と開戦
1939年8月、世界を驚かせる出来事が起こります。それまで激しく対立していたドイツとソ連が、「独ソ不可侵条約」を結んだのです。両国は互いに攻撃しないことを約束し、その裏では東ヨーロッパを分割する秘密議定書も交わされていました。ヒトラーはこれによって、東西から挟み撃ちにされる危険を減らし、次の行動へ踏み切ります。
1939年9月1日、ドイツ軍はポーランドへ侵攻しました。これに対し、イギリスとフランスはドイツへ宣戦布告します。こうして第二次世界大戦が始まりました。
開戦直後のドイツ軍は圧倒的な強さを見せます。戦車や航空機を組み合わせた機動力の高い戦術は「電撃戦」と呼ばれ、ポーランドは短期間で占領されました。しかし、この侵攻によって始まった戦争は、やがてヨーロッパ全土を巻き込み、人類史上最大規模の戦争へと発展していくことになります。
翌1940年には、ドイツ、イタリア、日本が日独伊三国同盟を結びました。この同盟には、アメリカを牽制する狙いがありました。これにより、ドイツと日本は同じ陣営に属することになります。ただし、ドイツはヨーロッパで、日本はアジア・太平洋地域で戦争を進めており、両国が同じ戦場で共に戦ったわけではありません。

戦争の拡大とドイツの占領政策
ヨーロッパ占領と独ソ戦
第二次世界大戦が始まると、ドイツ軍は驚異的な速さでヨーロッパ各地を占領していきました。1940年にはデンマーク、ノルウェー、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクへ侵攻し、さらにフランス軍を破ります。第一次世界大戦では4年以上にわたって戦ったフランスが、わずか数週間で降伏したことは世界に大きな衝撃を与えました。
この頃のドイツは、まさにヨーロッパ最強の軍事国家となっていました。しかし、ヒトラーの目標はそれで終わりではありませんでした。1941年6月、ドイツは独ソ不可侵条約を破り、ソ連への侵攻を開始します。これが「バルバロッサ作戦」です。ヒトラーは短期間でソ連を打ち破れると考えていました。実際、開戦直後のドイツ軍は各地で勝利を重ね、ソ連の広大な領土へと進軍していきます。
ところが、戦争はヒトラーの予想どおりには進みませんでした。ソ連軍は激しく抵抗し、さらに厳しい冬がドイツ軍を苦しめます。戦線は次第に長期化し、ドイツは広大な占領地を維持するために莫大な兵力と物資を必要とするようになりました。この独ソ戦は、後にドイツの運命を大きく変えることになります。
戦局の転換と総力戦
1942年から1943年にかけて、戦争の流れは少しずつ変わり始めました。その象徴となったのがスターリングラード攻防戦です。ソ連南部の重要都市スターリングラードをめぐる戦いは激しい市街戦となり、多くの犠牲者を出しました。最終的にドイツ第6軍は包囲され、1943年に降伏します。これはドイツ軍にとって大きな敗北であり、「無敵」と思われていたドイツ軍が後退を始める転機となりました。

一方、西側ではイギリスやアメリカによる空襲が激しさを増していきます。ベルリン、ハンブルク、ドレスデンなどの都市は大きな被害を受け、多くの市民が戦争の現実を直接味わうことになりました。それでもヒトラー政権は戦争継続を諦めませんでした。
1943年、宣伝相ゲッベルスは「総力戦」を訴え、国民にさらなる犠牲と協力を求めます。女性や高齢者も戦争遂行のために動員され、ドイツ社会全体が戦争に組み込まれていきました。しかし、この頃には戦争の主導権はすでに連合国側へ移りつつありました。ドイツは依然として広大な占領地を支配していたものの、その支配を維持する力は次第に失われていったのです。
第三帝国の崩壊とドイツ敗戦
連合軍の進撃とドイツ本土への戦争
1944年になると、ドイツの敗北は次第に現実味を帯びてきました。6月には連合軍がフランス北部のノルマンディーへ上陸し、西ヨーロッパで本格的な反攻を開始します。一方、東部戦線ではソ連軍がドイツ軍を押し返し、ベルリンへ向けて進撃を続けていました。ドイツは東西の両方から圧力を受けることになります。
さらに空襲は激しさを増し、多くの都市が深刻な被害を受けました。工場や鉄道網は破壊され、戦争を続けるための力も次第に失われていきます。

それでもヒトラーは降伏を認めず、国民に最後まで戦うよう求めました。少年や高齢者まで動員されるようになり、戦争末期のドイツ社会は極限状態へと追い込まれていったのです。
ベルリン陥落と無条件降伏

1945年春、ソ連軍はついにベルリンへ到達しました。激しい市街戦の末、ドイツの首都ベルリンは陥落します。ヒトラーは総統地下壕(Führerbunker)にこもり、1945年4月30日に自ら命を絶ちました。ヒトラーの死によっても戦闘はすぐには終わりませんでしたが、もはやドイツに勝利の可能性は残されていませんでした。

そして1945年5月8日、ドイツは無条件降伏を受け入れます。こうして1939年に始まった第二次世界大戦は、ヨーロッパにおいて終結しました。
しかし、ドイツが失ったものはあまりにも大きなものでした。国土の多くは破壊され、数百万人が命を落とし、人々の暮らしも大きく崩壊していました。さらに戦後のドイツは連合国による占領統治下に置かれ、やがて東西に分断されていくことになります。これは後のドイツ史を大きく左右する、新たな時代の始まりでもありました。
おすすめの書籍
第二次世界大戦とナチス時代を題材にした作品として有名なのが、手塚治虫の『アドルフに告ぐ』です。ドイツと日本を舞台に、同じ「アドルフ」という名を持つ三人の人生が複雑に交差しながら、戦争と差別、友情と裏切りを描いています。歴史の流れを物語として追体験したい方におすすめの名作です(全5巻)。
おわりに
ヒトラー政権の時代は、ドイツ史の中でも最も重い記憶として残されています。そして現代のドイツの人々は、そのことを重く受け止めています。敗戦後のドイツは、今度は占領と分断という新たな時代に入っていきます。

次回は、東西に分かれたドイツと、再統一までの長い道のりを見ていきます。1年かけて連載してきたドイツの歴史シリーズも、ついに最終回を迎えます!
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画像出典:
*1 By Unknown author – This tag does not indicate the copyright status of the attached work. A normal copyright tag is still required. See Commons:Licensing., Public Domain, Link
*2 Von Bundesarchiv, Bild 146-1990-048-29A / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, Link
*3 Bundesarchiv, Bild 183-H10250 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, リンクによる
*4 Von Bundesarchiv, Bild 137-051639A / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, Link
*5 Von Bundesarchiv, Bild 146-1972-028-14 / CC-BY-SA, CC BY-SA 3.0 de, Link
*6 不明 – https://www.gettyimages.ae/detail/news-photo/adolf-hitler-miniters-yosuke-matsuoka-and-ribbentrop-and-news-photo/107426751?adppopup=true, パブリック・ドメイン, リンクによる
*7 Леонид Великжанин – scan ‘L’Armata Rossa e la disfatta italiana’ di G.Scotoni,Casa Editrice Panorama 2007Газета «Вечерняя Москва» № 24 от 30.01.1943 г., パブリック・ドメイン, リンクによる
*8 By Deutsche Fotothek, CC BY-SA 3.0 de, Link
*9 Bundesarchiv, B 145 Bild-P054320 / Weinrother, Carl / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, リンクによる
*10 とアイキャッチ Von US Army – Stars and Stripes, the official US Army magazine., Gemeinfrei, Link



